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大岩正和さん  mc−Akiのインタビュー。2回目は日本気球連盟の理事長大岩正和さんです!!
ある日「あきちゃん!茂木の前で忙しいかも知れないけれど、来週我が家で夕食でも一緒にしながら、例のインタビュー・・・どう?」とお電話をいただき、イソイソと出かけた私でした。というのも、大岩さんとのお付き合いは長く、お宅にお邪魔しては御馳走になって熱気球をはじめいろんな話題で盛り上がる楽しい時を過ごしているからです。
今回も、まずはアメリカで仕入れてきたという「フランシスコ・コッポラ」のワインと美味しい豆乳鍋をいただき、その日行なわれたサッカーの試合をTV観戦した後に「熱気球四方山話」を伺ってきました。
**気球連盟に関して**
――理事長をなさって今年で何年ですか?
「20年です。2年任期ですので10期かな」
「最初に理事長になった時は連盟のシステムに不満があったんですよ。『日本気球連盟』はまだ社会的にも認知されていなかった。何より、親団体である日本航空協会から認められたいと思ったのです。熱気球というスカイスポーツを認知してもらう。そのためにはライセンス制度をもっときちんとしたものにして、より安全に飛ぶことを重視しなくては・・・」

 気球連盟に対する思い入れは人一倍!さすが気球歴36年。20年も連盟のトップに立たれている方です。
「まず、気球先進国のシステムを取り入れようとしたのね。でも、日本との大きな違いがある。アメリカやイギリスでは熱気球は航空機なのだけど、日本は違う。だからこその安全基準です。万が一事故を起こした場合「キケン」というイメージをもたれてしまう。航空法の規定の中にないだけに、より気を使わなければならないと思うわけですよ。日本気球連盟という任意団体が作った規定。たとえば当たり前なことですが、「風がある時には飛ばない」なんていうことをはじめ、国が決めたことでもないのにきちんと守っているパイロット達はすばらしいと思います。これも、各地域のパイロット(指導者)達の意識の高さがあってこそなんですよね。特にランドオーナーとの関わりは大切にしてほしいことのひとつです。」
 滑走路など固有の離・着陸地を持たない熱気球はいつも、土地をお借りしているわけですが、それを一般の方に理解していただくことが難しいのです。だからよく「熱気球がうちの畑に不時着した」なんていうコメントを耳にするわけです。実は不時着ではなく着陸。これも熱気球が風任せで、そのときの風向きによって風下の広い土地をお借りして着陸するしかないからなのですが・・・。
**日本 気球はじめて物語**
 さて、気球歴も長くこよなく気球を愛する大岩さんの気球事始めを伺いましょう。
「僕は学生時代にクラブで気球を始めたわけではないんですよ」
これは意外でした。慶応大学の熱気球クラブの創始者とばかり思っていましたから。
「27歳だったかな。OBとして、富士宮で『フェニックス』という気球を飛ばしたのが始めてだったと思います。70年くらいでしたよ。当時、球皮(風船の部分)はもちろんのことバーナーもすべて自作だったからね。写真でしか見たことないものを作るのは、面白い反面大変な冒険でもあるわけですよ。特にバーナーには苦労したね。初めて浮かび上がるまでに4つは製作しました。それがいずれもしょぼいのね。忘れもしない大根畑の中でバスケットを立てて、その上に球皮をかぶせ、暖めた空気をダクトで入れるんですよ」
熱気球を知る人はまずその立ち上げ方に唖然でしょう。言葉では分かりづらいので、イラストで示しますが、通常熱気球は立ち上げの時、立上げ図バスケットは横倒し、地面にレイアウトした球皮に風を送り十分に膨らんだところで、バーナーに点火!球皮内の空気を暖めると風船は立ち上がる〈右イラスト〉。という行程なのですが、当時はまず熱送風機なるものがあって初めからバスケットは立っていて、その上にかぶせた球皮内にダクトで暖かい空気を入れたそうです。思いっきり時間もかかったし、その中でやがてはバーナーを焚いたわけですから、酸欠にもなる。或る程度形がつくまで仲間が回りを抑えていてパイロットの「よし!」の掛け声とともにそれを離すとかなりの勢いで飛び発ったということです〈下イラスト〉。もちろんその時飛んだ大岩さんは立上げ図
「始めて飛び上がったときはねぇ、とにかく『早いなぁ〜』というのが感想。まるでロケットみたいだなぁと思った。レベルなんて取れないから(一定の高度で飛行すること)ジグザグに飛んで着陸。どうやって降りるか経験不足だから、もちろんハードランディング!感想?このスピードなら死なないな。かな?」
なんでも、はじめて!というのはすごい!まさに挑戦ですよね。日本の熱気球の歴史は浅いのですが、始めはそのほとんどが自作気球!2・3年前、北海道の酪農学園が自作の気球でグランプリにエントリーしてきて、なんか懐かしかったのを覚えています。このとき、大岩さんたちはとにかく自分の作ったもので空を飛びたかったそうです。まさに夢が叶ったわけですね。
「まずは、自作気球で飛びたい。そして、それで山を越えたい。やがては競技に参加してもちろん勝ちたい!(大岩さんは初代の日本チャンピオン。世界選手権に日本代表として何度も参加していらっしゃいます)そうして夢は膨らんでいくわけですよ。今はGPS初めいろいろな新しい機器があり、より安全に飛べるようになりましたが、僕自身は何も付いていないシンプルな気球が好きだなぁ」
**熱気球大会について**
日本のみならず世界中の空を飛んでいる大岩さんですが、好きなフライトエリアを伺うと
「飛んで楽しい大会は、冬の上士幌や小千谷。観ていて楽しいのは参加機数も多い茂木や佐賀ですね」
とのことでした。グランプリについては?
「やはり、明らかに日本の競技レベルを上げたことの功績が大ですね。藤田君(ワールドエアーゲーム・チャンピオン)水上君(現日本チャンピオン)遠藤君(4回連続世界選手権出場)などの世界に通用するパイロットが生まれた。世界チャンピオンクラスのパイロット達を満足させる競技大会を長年開催し続け、日本人パイロットに刺激を与えた。目標がはっきりしているから、それを目指して切磋琢磨しパイロット達はそのフライトテクニックに磨きをかける。いい例が茂木。最初あのエリアで熱気球の大会なんて狂気の沙汰だと誰もが言ったでしょ。でも、いまグランプリパイロット達は茂木で飛ぶことを誇りとしている。新しい経験をつむことによってステップアップしていくわけですよ。また、もうひとつ注目すべきところは、そんな世界的なパイロットのチームにファミリーチームが多いということです。藤田君にしても水上君にしてもグランドチーフは奥方でしょう。そして、その息子たち」
そう!ちなみに昨年の茂木のチャンピオンアメリカのニック・ドナー選手はママと来日。連日ニックママは弟のチェイス・ドナーと二人のグランドクルーで下から激を飛ばしていました。海外の上位チームは家族エントリーが圧倒的に多かったように思いますよ。
**これからの気球界**
 息子といえば、大岩さんの御長男、翔太さん(18歳)ももちろんパイロット。ローカル大会などで準優勝をしています。(かえるの子はカエル?)
「最近特に目立ってきたのは、いわゆる2世パイロット。うちの翔太、藤田雄大君・水上雄介君やお宅の梨絵ちゃん(町田梨絵21歳)佐賀にもたくさんいるであろう2世達の時代になってきている。親がバルーニングしている姿を幼い時から見ている、いや物心付く前から休日に目がさめると渡良瀬に居た。なんていう子供たちがパイロットになって同じ空を飛んでいるんだよね。なんか感慨深いものがあるねぇ」
「ねぇ、今度2世大会をやらない?」

奥様で女性パイロットの草分けトシ子さんがここで提案。・・・いいかも・・・。
――では、最後に若いバルーニストの皆さんに何かメッセージを
「パイロットはフライトテクニックの向上の前にフライトマナーの向上を目指してください。また、パイロットばかりではなくクルーの皆さんも今まで以上に『意識』を高く持っていただきたいです。例えば誰か一人がうっかり畑に空き缶を捨てる。それだけで『気球の奴らは・・』となってしまう。パイロットはチームクルーにもマナーを徹底してほしいんです。当然、言動にもです。ある意味底辺を広げることは良し悪しでもあるんだよね。難しいところだと思います。そしてもうひとつ!各チームの皆さんは愛機のメンテナンスもきちんとしてほしいですね。そして、なにより安全にフライトすることを心がけてください」
 1に安全。2にマナー。ですね!今年は首都圏ではじめての熱気球世界選手権が11月に栃木で開催されます。日本気球連盟の理事長としてますますお忙しくなると思いますがこれからも日本の気球界のために御活躍を!ありがとうございました!!
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