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バルーンが文化となった街『SAGA』
NPO法人熱気球運営機構 会長 町田耕造
イメージ  秋の佐賀の風物詩「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」がスタートして25年が経ちました。1980年に私が初めて熱気球を佐賀に持っていったとき、佐賀の熱気球人口は限りなく0に近かったと思います。それが今では、日本で最も気球人口が多い町に、そして大会は毎年60万~90万人もの観客を集める佐賀最大の観光イベントに育ちました。
利益は地元のもの
 私が関わる熱気球大会の主催組織はボランティアを中心とする市民組織です。そして各自治体と協賛企業の3つの組織が協力する形で成り立っています。現在日本のイベントのほとんどに「広告代理店」が存在しています。大きなイベントになればなるほど広告代理店や企画会社に企画運営を任せています。彼らはその道の「プロ」ですからもちろんイベントはそつなく行われます。しかし、これでは利益が地域に落ちにくい構造になり、またノウハウや人材も地域に残ってゆきません。
 佐賀の熱気球大会の運営はすべて市民組織が行っています。協賛企業との契約、自治体との交渉、テレビ放映権の販売。イベント開催中にはマスコミ対策、危機管理、迷子の対応等といったものもあります。そのすべてのノウハウが主催組織に蓄積され、携わった多くの人の中にも残ってゆきます。そして何より利益は地域にすべて残ります。つまりこの組織そのものが地域の財産となるのです。
10年という時間
イメージ  私はこの組織を作るのに10年はかかると考えています。人を育て、地域の文化となるにはそれだけの時間が必要なのです。
 最初は、本部テントがひとつで観客もほとんどいなかったローカル大会が化けたのは10年後の日曜日の早朝でした。まだ薄暗いのにざわざわとした雰囲気を感じて土手に目をやると信じられないほどのたくさんの観客。その数に我々は感動している間もなく、次々と起こる事態の対応に追われました。たくさんの迷子、トイレが足りないとのクレーム、競技やイベントの案内不足、そしてあっという間に満車状態の駐車場や期間中のおびただしい渋滞。毎年、いいえ毎日反省会を実施して問題をクリアーしていきました。その結果、それから毎年、市民にとどまらず近県・全国からの集客もあり、嘉瀬川の土手はたくさんの観客に埋め尽くされています。
佐賀市が手にしたもの
 そして、佐賀市は観光の目玉を手に入れました。1980年、佐賀には観光の目玉は何もありませんでした。(佐賀の人には怒られるかもしれませんが、何もないからこそ、佐賀に熱気球が根付いたのではないでしょうか?)今でこそ吉野ヶ里遺跡があり、また最近では歌でも有名になりましたが・・・・。
イメージ  佐賀市役所には熱気球大会の担当セクション「観光文化課」があります。観光と文化は一つのものだという考え方です。佐賀では熱気球が文化になったのです。佐賀の熱気球大会は5日間開催されます。期間中会場には臨時駅「バルーン佐賀駅」が設けられます。これは佐賀市の職員が佐賀の駅長室に1週間通い詰めて許可をもらい実現したものです。こうして市の職員もこの大会に携わることによって、観客の視点で何が必要かを考え始めます。今、最も大会の運営に積極的なのは市の職員です、今年はブルーインパルスを飛ばそうと考えています(出来るか出来ないかを考えるのではなく、これを観客が喜んでくれるかどうか、という観点からチャレンジしてゆくのです)これは日常市役所の仕事の中からは出てこない発想です。こうして佐賀市自体が変わってゆくのです。
企業の社会活動として
 佐賀の大会は本田技研工業が15年間に渡りメインスポンサーを続けています。企業として宣伝的な観点だけではこんなに長く続けることは出来なかったと思います。「社会活動として熱気球大会による地域への貢献」この部分をホンダというスポンサーには理解していただいているからです。企業も社会の一員であるということを自覚し、長期にわたって社会活動として取り組んでゆく、そういう企業との出会いが熱気球大会を地域に根付かせた大きな要因となっています。
イメージ  1993年からは、ホンダは佐賀のみならず「ジャパンホンダグランプリ」という名で日本国内5ヶ所の熱気球大会をシリーズ化して応援しています。長野県佐久市、栃木県茂木町をはじめ各地の大会も佐賀を目指して組織作りに励んでいます。現在、ホンダ以外にも多くの企業が協賛しています。パイオニアもそのひとつです。パイオニアは熱気球の夜間係留イベント(夜間に熱気球をイルミネーションのように並べ、音楽とMCに合わせて点灯させます)を開催しています。大会期間中最も人気のあるイベントのひとつとなりました。そして、協賛企業で忘れてはならないのが地元企業です。足を使い地道に協賛をお願いした結果、プログラムにはまるでお祭りの寄付のように地元企業名が並びます。地域に定着し、多くの方の理解を得るにはこれがもっとも重要な活動です。
親が子供に見せたいもの
表  私たちは、会場で必ずアンケートを取っています、熱気球の大会の観客は65%が家族連れ、つまり親が子供の手を引いて見に来ているのです。今の日本で親が子供に見せたいなと思うものは本当に少なくなりました。熱気球にはその魅力があります。熱気球は夜明けとともに飛び立ちます。佐賀の嘉瀬川の土手では、朝早くから多くの親子連れが100機以上の熱気球が次々と離陸するその感動的瞬間を待っています。アンケートの中に「小さい頃に家族で来たのですが、記憶がうすれていました。でも今日見てその時の感動がよみがえりました、今日は結婚して自分の家族と来て、楽しい思い出が出来ました」という回答を見たとき、このイベントは時代を超えて続くものだと確信しました。親が子供の手を引いて、そしてその子供がまた子供の手を引いて見に来るもの、それが熱気球大会なのです。
 佐賀の人はバルーン(佐賀の人は熱気球といわず「バルーン」と呼びます)の時期に親戚が集まるといいます。「佐賀は何もナカケンネ」とはもう言いません。佐賀の人は自慢できるものを手に入れたのです。
観客が主役
イメージ  「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」が始まり四半世紀経った今では、強風で競技が中止になると、土手いっぱいに集まった観客が整然と帰って行くようになりました。これを見ていた東京の広告代理店の人が私に言いました。「町田さん10万人もの人を集めて中止ですのでお帰りくださいと言ったら、東京では暴動が起きますよ」と。佐賀の観客は風の強い中でバルーンを飛ばすのは危険だということを知っているので、納得して帰るのです。だから翌朝にはまた土手いっぱいの観客がおとずれます。今日こそバルーンが空いっぱいに飛び立って行くことを願って…。この一瞬の感動は、「人も自然の中に生きている」ということや、「人間の思いどおりにならないものもある」ということを子供たちに教えています。
 熱気球の大会は、大会の運営に携わった人々のみならず、多くの観客にも支えられながら地域に根付いてゆきます。次の時代を担う子供たちに、自然の偉大さや生きる知恵を何気なく伝えながら・・・・
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