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COLUMN
子供たちに感動を(佐久バルーンフェスティバル)
NPO法人熱気球運営機構 会長 町田耕造
まずはじめること
イメージ  五月晴れの空の下、子供たちの真っ白な画用紙に色とりどりの気球が描かれていきます。そんな光景がゴールデンウィークの「佐久」では、ここ何年も当たり前のことのように微笑ましく見受けられます。私の夢見た熱気球の大会はここにあります。
 1991年、IOC総会でサマランチ会長の「オリンピック・シティ・オブ・ナガノ」というニュースをテレビで見たとき、長野で「熱気球の大会」を開催したいと思いました。オリンピックに合わせて、同じ場所で熱気球大会を・・・。あわよくばオリンピックの公開競技に・・・などと夢は広がります。
 早速、長野県内でフライト可能な場所を調べ始めまたが、長野市周辺、善光寺平などの候補地には果樹園が多いため着陸する場所はほとんど無く、松本盆地も松本空港ジェット化のため、すぐ空域的に飛行ができなくなることが判明。そして、次に候補にあがったのが佐久盆地でした。盆地とはいえ広いフライトエリアがあったからです。
 実現のためには、その地に一歩を踏み出さなくてはいけません。私は、地元の有力者に、理解とサポートをお願いすることからはじめました。
人との出会いが大切
 私のよき理解者で、「佐久バルーンフェスティバル」の立役者でもある県議会議員・寺島義幸さんとの出会いは、上田の羽田孜事務所でした。
 ある人の紹介で国会議員の羽田孜さんを訪ねたとき、私の話に興味を持って引き合わせてくださったのです。県会議員になったばかりの寺島さんは、私と年齢も同じで、その後、熱気球大会実現のために大きな力となってくださいました。出会ったその日に意気投合し、寺島さんは私を佐久盆地が一望できる高台に連れて行き、故郷「佐久」のことを熱く語ってくれました。
 佐久平の空で、熱気球の大会を・・・という、共通の「夢」を持った私たちは、早速行動を起こしていきました。まず、寺島氏は佐久市のことを誰よりも思う、市長の三浦大助さんを紹介してくださいました。私は市長に、土手いっぱいに観客がいる「バルーンフェスタ佐賀」の写真を見てもらいながら、10年後には「熱気球の大会」が佐久市の観光の目玉となるであろうことを、熱く語りました。
 三浦市長は、佐賀の熱気球大会をはじめた宮島市長と同じ厚生省出身で、先輩・後輩に当たるということでした。電話で熱気球の大会についていろいろと話を聞いて、興味をもってくれた市長は、「佐久」で熱気球の大会を開催することを快く了承してくれたのです。三浦市長のこの決断無くして、「佐久バルーンフェスティバル」の実現はありませんでした。
 悪天候で競技がキャンセルになり集客数が減った年も、何かしらのトラブルがあっても、いつも変わらずに大会を支援し続けてくれた三浦市長。2004年の熱気球日本選手権開催も、市長の熱意が実現させたといっても過言ではありません。今、「佐賀」の次に有名な熱気球の街は?との問いに、多くの気球関係者が「佐久」を挙げるはずです。
大雪の中の熱気球
イメージ  1993年2月11日の早朝、第一回「佐久バルーンフェスティバル」が開催されました。現在はゴールデンウィークに開催している佐久の熱気球大会も、最初の2年間は長野オリンピックを意識して、2月に開催されていたのです。
 また、その年から「ジャパンホンダグランプリ」がスタートし、その記念すべき第一戦も兼ねていました。真冬の佐久平、雪化粧をした浅間山をバックにカラフルな熱気球が次々と舞い上がる光景は、本当に美しいものでした。
 翌94年の大会は大雪に見舞われ、道路が通行止めになるなど散々な大会となりました。また、天候のみならず、オリンピックと連動しようという当初の目論見はもろくも崩れたのです。しかし、雪の中でもたくさんのお客さんが会場に来てくれました。
 そして、天候にデリケートな熱気球にふさわしい季節であり、観客も集まりやすいということで、開催時期をゴールデンウィークに移し現在に至っています。
信州人は議論好き
イメージ  佐久バルーンフェスティバルの主催組織の核となるメンバーは、佐久商工会青年部の人達で、94年に私が講演した時に参加して、「気球でまちづくりを・・・」ということに賛同してくれた人達です。
 ある本に「日本のドイツと言われる信州の人は、理念を優先させる」と書いてありましたが、うまいことを言うものだと思いました。うなずけることがとても多いからです。第一に、とにかく会議が長いのです。みんなそれぞれに意見を言い自分の考えを主張します。ただし全員で決定したことに、後で不平言うことはありません。ここがまた、いいところです。
 我々は参加意識を高めるため、必ず全員参加で会議をします。いつも会議が夜遅くまでになって「今日も新記録ですね」といわれようとも・・・。私はこの信州人の性格が本当に好きです。
目指すものを明確に
イメージ  佐久の熱気球大会が目指すもの。それは「子供たちに感動を」という、コンセプトとか理念とかいう難しい言葉で飾らずに、誰もが共感できる一言です。我々が対象とする観客は子供たちが中心、と決めました。信州の自然の中に都会の子供たちを連れてきて、体験型のイベントで自然の中に生きることを感じてもらい、生きる知恵を学んでもらえれば・・・と思っています。
 熱気球を見ていると空気の流れが目に見えます。大会は朝が早いので、日の出や日の入りも見ることが出来ます。新聞によると、日本の子供たちの52%が「日の出も日の入りも見たことがない」という調査結果がでています。親子で朝日の中、次々と離陸する熱気球を見送り、五月晴れの空の下、釣りや竹馬、クラフトなどを体験し、西日に溶け込む熱気球や夜間係留も楽しむ。こうして1日中親子で過ごすことの楽しさを、大切にしてもらいたいのです。
 佐久の大会では、5月3日(こどもの日ではありませんが)はキッズデーです。子供たちのためのイベントをいろいろと行いますが、一番人気はやはり写生大会でしょう。500枚の画用紙とクレヨンを用意して、子供たちに絵を描いてもらっています。それぞれお気に入りの気球を画用紙いっぱいに描いて、その絵を本部に持ってゆくとカブトムシの幼虫がもらえます。(2004年は幼虫の出来が悪くて、記念品になりましたが・・・)
イメージ  我が子の絵を感心しながら見ているお父さん、ここはこうしたらいいんじゃない?とつい手を出してしまうお母さん。親子でのこういう時間の過ごし方を大切にしてほしい、というのも我々の提案です。何百枚と集まった絵は、その年の夏休みに佐久市の商店街に飾られます。各店舗に2~3枚ずつ展示され、作品を描いた子供には、そのお店の方からハガキや記念品が送られたりするケースも多々あります。こうして佐久市の中で、夏にもう一度バルーンフェスティバルが開催されるというわけです。
みんなが賛同する言葉
イメージ  佐久の熱気球大会は、「目指すもの」がはっきりしていて、それに基づいて開催されています。いつか大会が進む方向を見失ったときは、「子供たちに感動を」という言葉に立ち帰り、今やろうとしていることは我々の目指すものに合っているのか確認すれば、おのずと進む方向は見えてきます。
 コンセプトを決めることにより、この大会には多くの人が集まって来ました。
 最初は祭りのノリで、大酒を飲んでは大凧を揚げているだけだった「佐久凧保存会」の人たちは、今、子供たちに佐久凧の作り方を教えてくれています。風が強い日中はこの凧が会場を舞います。「佐久漁業協同組合」は、魚をスーパーの棚でしか見たことがない都会の子供たちに、魚のつかみ取りや魚釣り、そして取った魚を炭火で焼いて食べるという教室を始めてくれました。「佐久青年会議所」は竹馬の作り方をお父さんに、乗り方を子供たちに教えてくれます。当然、作った竹馬は持ち帰り、東京の団地の中を歩いていることでしょう。来年の宣伝も兼ねて・・・。「郵便局」は餅つきを。臼に入れられたアツアツのもち米が、杵で何度もつくうちに餅になることを子供たちに教え、おいしいつきたての餅を振舞います。信州ならではの「そば打ち体験」「木工教室」など、イベント広場の体験教室がこうして次々と始まりました。
 それらすべてが、基本的には無料です。佐久の人たちには珍しくないものが観光資源となる。身近なことで、子供たちに何よりのもてなしができることに、誰もが気づきはじめたのです。そして、この大会ならではの貴重な体験は、子供たちの宝物となり伝えられていくことでしょう。
 こうして「子供たちに感動を」このコンセプトに賛同する人々は、今も増え続けているのです。
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